前回の記事で作曲家バッハのホロスコープのネイタルを解読してみました。
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今回はバッハの生涯で起こった出来事や転機をもとに、トランジットやソーラーアーク、プログレスなどを見てみたいと思います。
バッハの出生時間は諸説あるようですが、いくつかのサイトやブログで紹介されている5:45をもとにプログレスを見ています。前回の記事でいくつかのハウス予想をしてみたけど、人生の転機とプログレスを見て5:45説は信憑性が高いのではないかと思いました。
初心者なりの解読ではありますが、暗示がきちんと出てる部分がいくつもあり、あらためてホロスコープってすごいなと思いました。
経過図・進行図・ソーラーアーク図はastro.comを利用して作成しています。
両親と死別した幼少期
バッハは幼い頃に両親と死別しています。母親が亡くなって半年後に父親が再婚していますが、父親も間も無く死亡しました。
両親と死別したのはバッハが9歳〜10歳の頃で水星の年齢域に当たります。バッハのネイタルで水星を見てみると、魚座で金星と合。土星とオポジション。
芸術的なものに触れる経験の一方で、真正面から土星に制限やストレスをかけられて厳しい経験をすることが表れているようです。
両親が相次いで亡くなった時(1694年5月に母が死去、翌年2月に父が死去)のトランジットを見てみると、n太陽にt土星がスクエア。n水星金星合にt天王星がスクエア、t海王星が合。n火星にt天王星がオポジション。
土星による試練の到来とともに、幼いながら精神的に厳しい時期だったのではないかと思います。
両親の死後、バッハは既に独立していた長兄のもとに引き取られます。長兄はバッハの面倒をよく見てくれて、クラヴィーアの基礎をここで学びます。
兄の目を盗んで楽譜を写譜したりと、バッハの音楽的な興味が高まった時期でもあります。n水星金星合にt海王星が乗ったことで、感受性が豊かになり音楽的感性が磨かれることを示しているのでしょうか。
自立の時期
長兄に子供が産まれていよいよ生活が厳しくなり、バッハも自立する時期がやってきました。
兄の家を出て聖歌隊に
バッハは音楽的才能はもちろんとても賢い子で成績が良かったらしく、1700年に兄の元を離れて聖ミカエル教会付属学校の給費生として聖歌隊で学びながら活動することになります。
この時のバッハは15歳。トランジットを見てみると、土星のハーフリターン。n火星にt土星がスクエア。n太陽にt天王星がスクエア。
急に家を出ていくことになったのかな?太陽にトランジット天王星がスクエアで急な転機。
土星のハーフリターンとn火星t土星スクエアもあって、困難な時期のようにも見えるけどどうなんだろう。聖歌隊として入団してすぐに声変わりを迎えたそうなので、聖歌隊として活動できなくなる葛藤があったのかもしれません。
ソプラノの声が出なくなってしまったバッハですがバイオリンを弾くことができたため、教会に留まることができました。
アルンシュタット教会のオルガン奏者に
1703年にアルンシュタット教会のオルガン奏者として契約することになりました。演奏の他に聖歌隊の指導も任されていたそうです。
この頃のトランジットを見てみると、n太陽にt海王星が合で、n火星、t冥王星との間にグランドトラインを作っています。
創作意欲が湧いて、やる気がみなぎっていた時期なのだと思います。
この頃に当時の教会にそぐわない革新的な演奏をしたりして聖職会議で批判を浴びたりしていますが、次の就職先がすぐ決まったり社会的に落ち込むことがなかったのは、グランドとラインによる冥王星の強力な後押しもありそうです。
翌年には教会カンタータの作曲を開始しています。12ハウスにある太陽に海王星が乗り、宗教的な気持ちが高まっていたことも予想されます。
最初の妻と結婚
1707年に聖ブラジウス教会と契約してアルンシュタットからミュールハウゼンに移り住み、最初の妻となるマリア・バルバラと結婚します。挙式の日のトランジットを見てみます。
月回帰の日に挙式したっぽいですね。
n月t冥王星がオポジション。n水星金星合に対してt木星がオポジション、t土星がスクエアで精神的にはきつそうな時期に見えます。仕事のストレスがあったのかも。
結婚に関してはソーラーアークによく出ていると思いました。やはりソーラーアークって結婚を見るのに有効なんですね!
n水星金星合に対してSAの月のコンジャンクションが少し過ぎたところ。
SAの水星がn太陽にコンジャンクションで、SA金星はもう少しでn太陽に乗るところ。翌年に長女、その2年後に長男が産まれているので、SA金星とn太陽合はその暗示っぽい。
ワイマール時代
翌年1708年にSAの太陽はn天王星にオーブ0度でコンジャンクション。
当時のミュールハウゼンの職場を突然辞めて、ザクセン=ワイマール公国の君主であるヨハン=エルンスト公の宮廷オルガニストになった転機を示していると思います。教会のオルガニストから宮廷のオルガニストへの転換ということですかね。
ただバッハはワイマール時代の待遇にはご不満だったようで、また次の就職先を探します。
この頃バッハのプログレスの月が12ハウスにあるので、自分を見つめる時間が多くて辛かったかもしれないです。自分何やってんだろって思っていたかも。(私が今そうです)
一度やめようとしたものの昇進と昇給を打診されて留まり、それでもやはり抜け出したかったのか、1717年アンハルト=ケーテン侯国宮廷楽長に招聘されたため辞任することになります。
ですが、バッハの才能を残しておきたいためかワイマール公が辞任を承諾してくれず、1ヶ月牢屋に閉じ込められてしまいます!
この時のトランジットはn水星金星合にt冥王星がオポジション、n土星にt冥王星が合。n火星にt冥王星がスクエア。
もしやノイローゼになりそうだった?トランジット冥王星にこれでもかと角度が取られてきつそうですが、火星にt冥王星のスクエアがあり権力に屈しない面が見えます。
牢屋に閉じ込められたのは、バッハが契約外の行為を行ったからという理由もあったそうで、トランジット冥王星に叱られたのかもしれないです。
ケーテン時代
1ヶ月の投獄後に解放してもらい、無事にアンハルト=ケーテン侯国の宮廷楽長になりました。レオポルト公は音楽が大好きな人で、バッハは恵まれた環境で作曲をしていたようです。
レオポルト公とはその後もお付き合いがあり、バッハがこの職を辞めた後も宮廷に呼ばれて演奏会をしています。居心地に良い関係だったようです。
プログレス新月を終えてプログレス月は1ハウスに移動しています。新しい自分になれた開放的な気持ちだったかも。
妻と死別・再婚
1720年レオポルト公と旅行中に妻バルバラが急死してしまいます。バッハが戻った頃には既に埋葬されてしまっていたという...。バッハは4人の子供たちを抱えて途方に暮れます。
この頃のトランジットはn水星金星合にt冥王星のオポジションがまだ続いているのに加えて、n太陽にt天王星がタイトにオポジションで、近しい人との突然の別れが暗示されています。
翌年1721年2月には幼い頃自分を引き取ってくれた兄ヨハン・クリストフが死去します。悲しみの中だったと思いますが、3月に「ブランデンブルク協奏曲」が献呈されます。
昔の人は再婚するのが早いですよね。バッハも先妻が急逝した翌年1721年の12月には、後妻のアンナ・マクダレーナと再婚しています。
再婚した頃のバッハのトランジットは、、n火星にt土星がタイトにコンジャンクション。
これは、同じ年に結婚したレオポルト公の妻が音楽嫌いで、今までのような仕事ができなくなったことが関係しているのではないかと思います。
レオポルト公は音楽が大好きだったのに、妻の影響でだんだん音楽に対する宮廷の出費が減り楽団も縮小。バッハは宮廷での仕事はやめ時なのかと考え始めていたようです。
この頃「平均律クラヴィーア曲集」を書き始めたと言われています。仕事が厳しい時期に大作の作曲ができてしまう、さすが大バッハだなあ。
ライプツィヒへ
宮廷での仕事が思い描いたものと変わってきたことから、バッハはまた次の職場を探します。そして1723年に、ライプツィヒにある聖トーマス教会のカントルの職を得ます。
プログレスの月がICを通過して4ハウスに入った頃に、ライプツィヒに移動していました。
ライプツィヒはその後27年を過ごすことになる、バッハの人生の拠点となる土地です。自身のベースとなる場所への移動が、プログレス月に表れているようです。
理事会と揉めることが多い
ライプツィヒでバッハは多くの仕事をこなしますが、教会の理事会と教育方針や待遇の面で揉めたり、常に理事会とやり合っていました。バッハの頑固な性格もあってか、理事会に睨まれることも多かったようです。
ライプツィヒに移動したのは火星の年齢域。ネイタル火星は土星とのスクエアがあるので、自分の行動に制限がかけられるような体験をする暗示だったのかもしれません。
「マタイ受難曲」の成功の後も教会での立場は良くならず、1730年7月には古い友人に自身の絶望を訴える手紙を書いています。
この頃のトランジットはこれでもかという感じで、n太陽にt冥王星オポジション、n月t天王星スクエア、n水星金星合にt土星がコンジャンクションとt海王星がスクエア、n火星にt海王星がスクエア。
社会的にも精神的にもトランジットの攻撃を受けている感じがしますね。水星・金星・火星の個人天体に海王星が絡んでいるのがきつそうです。
一方で、n水星金星の合にt土星のコンジャンクションや、n太陽にt木星トライン、t海王星セクスタイルがあって、自分の内にこもって創作活動をするにはいい時期だったのかなと想像できます。
ルル・ラブア先生の「占星学 新装版」にはn水星t土星の合について以下の記述があります。
精神活動が深みを増し、さらに積極性も加わります。(中略)長期の知的研鑽や学問的蓄積がまとまるため、執筆活動には良い時です。
ワイマール時代の友人ゲスナーが校長だった4年間は教会音楽のレベルを高めることができ、バッハにも平穏な日々が訪れますが、1734年にゲスナーがいなくなってからは再び教会理事会と対立する日々が続きます。
そんな中でも、ザクセン選帝侯に自らお便り申して自分を売り込んでいたのはさすがと思います。
「宮廷作曲家」の称号を与えられる
度重なるお便りや楽曲献呈の成果もあってか、1736年11月19日にザクセン選帝侯から「宮廷作曲家」の称号を与えられます。
プログレスの月は10ハウスに移動していました。社会的に頂点にあった時期と読めます。
「宮廷作曲家」の称号を与えられたことで、理事会からバッハへの嫌がらせもなくなりました。
晩年
1738年に行方不明だった長男が亡くなった頃、トランジット天王星がn太陽にスクエアで、近しい人との別れが暗示されていました。
「ゴルドベルク変奏曲」や「平均律クラヴィーア曲集 第二巻」を作曲した時は、n太陽にt海王星がスクエア、n水星金星合にt天王星がセクスタイルでt冥王星がトライン。
不眠症に悩むカイザーリンク伯爵に書いた「ゴルドベルク変奏曲」は海王星の夢見心地の影響、「平均律クラヴィーア第二巻」は冥王星トラインによるパワーの影響があったのではないかと思います。
1742年頃から最後の大作「フーガの技法」の作曲を始めます。土星の年齢域(55歳〜65歳)においても創作する意欲を失わず大作に挑む姿勢は、勤勉な6ハウスの土星が示しているのでしょう。
バッハの言葉にこんなものがあるそうです。
私は勤勉であるよう余儀なくされた。誰であれ同じように勤勉な者は同様に成功するでしょう。
バッハの太陽星座が山羊座ではないかと感じた(実際は牡羊座)のは、楽曲やその生涯から勤勉さや厳しさ=土星を感じるからかもしれません。山羊座の支配星は土星。
1749年5月末にバッハは倒れます。この頃はn太陽にt火星がスクエア、n月にt冥王星がスクエア。翌年の3月と4月には目の手術を行いますが、失敗して失明してしまいます。後遺症が残り、1750年7月28日の夜に脳卒中で死去しました。
バッハが亡くなった日はn月にt天王星が合、t土星とt冥王星がn月にスクエアで精神的に厳しそうな配置ですが、プログレスの月は蟹座のICに戻ってきて4ハウスに移動していました。
ライプツィヒにやってきた年から約27年。最期に温かい家族がいる蟹座のICに戻ってきたのではないかなと思いました。
ハードアスペクトを乗りこなしたバッハ
バッハは人生の中で職場を何度か変更しており、自ら行動を起こすことも多く人生の変化が多い人です。
その人生の転機にほぼ土星やトランスサタニアンが絡んでいて、影響度の強さを改めて感じたのと同時に、バッハは苦しいながらもハードアスペクトを乗りこなしていたことがわかりました。
偉大な功績を残す人はハードアスペクトを使いこなすと言われたりしますが、バッハの生涯と照らし合わせるとまさにその通りだなと実感します。とても勉強になります。
間空くかもしれないけど、また作曲家のホロスコープで星読み練習したいと思います。次はバッハと同じ時代に生き、バッハとは正反対とも言える人生を歩んだヘンデルのホロスコープを考察する予定です。
参考にした本
バッハの生涯については、以下の伝記を参考にしました。